2. 中国四川省四姑娘山群遠征(2010年7月18日〜8月17日)
米澤 弘夫 記
大内尚樹、室屋 博、妹尾佳明、長友敬一、米澤弘夫
2009年初旬の頃だと思うのだが、九大山岳会の長友に中国四川省四姑娘(スークーニャン)山群登攀の話を持ちかけられた。長友は数年来、東京在住の大内尚樹を中心とするメンバー数人と共に、中国四川省奥地に位置する5000m級岩峰群の登攀を行っていた。彼の話によると、未登の5000メートル峰、それも私の好む花崗岩の岩峰がごろごろしているらしい。さっそく、その話しに飛びついた。2010年夏の遠征には、大内、長友を含め、他山岳会員七名(大内、長友、守屋、妹尾、米澤のグループとYCCパーティ3名)との合同隊を組んだ。
7月18日 晴れ
福岡を発ち、上海経由で成都空港着。ここで、大内、室屋と合流。
9:50、福岡発〜 16:10、上海乗り継ぎで成都着
7月19日 晴れ
車にて山へ向かう。直接の道路が大地震で壊れてしまい、南の雅安経由となる。雅安までは高速道路。これから北上していくが、山にさしかかると次第に道が荒れてくる。土砂崩れの箇所も多く、運転を誤ると谷底へ真っ逆さまだ。午後遅く、山麓の宿に到着。高度3200mとの事。
9:00、成都発〜 18:00、宿着
7月20日 晴れ
車で双橋溝を10キロほど登り、これから大溝に入る。きつく、荷物を担いだポーターに置いて行かれ る。6時間ほど登った広場にベースを建設(4200m)。ここは昨年もベースを置いた地点だという。 高度障害か、夕食が食べられない。
9:50、歩き出し〜 15:30、ベース着
大溝5120m峰東壁
7月21日 晴れ
高度障害が回復せず、沈殿とする。大内、室屋は目標の5120m峰東壁へ出かける。しかし、10m程登った所から下降してくる。高度の影響であろうか、相当に消耗した様子が窺える。妹尾は単独で5400m峰へアタックをかける。
7月22、23日 雨 沈殿
7月24日 晴れ
大内、室屋、米澤で5120m峰東壁に取り付き、大内と交代でトップを務める。この高度での岩登りはきつく、激しい動作をすると息が続かない。ヘルメットを岩に押しつけて、呼吸が整うまで喘ぎ続ける。電動ドリルを使用しているとはいえ、ボルトを打ち込みながらの登攀は、遅々として進まず、4ピッチ登ったところから下降する。妹尾はルートの状態が悪く、登攀を中止し下降してくる。
7月25日 雨 沈殿。
7月26日 晴れ
5120m峰東壁へ取り付き、6ピッチ終了点にビバーク地を整備する。夕暮れまでの間、大内は7ピッチ目のルート工作を行う。座ったままのビバークは寒く、身体の節々が痛んで、ほとんど眠ることが出来なかった。妹尾は5200m峰にアタックをかける。
7月27日 晴れ
さらに登り、12ピッチ目で主稜線上に出る。ここから1ピッチでピーク(高度計の目盛りは4980m)。ピークは安定した場所で気持ちが良い。これで、第一の目標は済んだ。早々に下降を開始するも、取り付き点に立ったときは真っ暗だった。空身でベースまで下山。11時過ぎにベース着。この日、妹尾も登頂を果たし、ベースまで下山した。
7:00、登攀開始〜 16:00、ピーク着〜20:30、取り付き点〜23:00、ベース着
7月28日 晴れ
室屋、妹尾、米澤でデポ回収に向かう。きつく、ピッチが上がらない。この日で、一遍に体力を消耗してしまった。
7月29日 晴れ
ベース撤収。宿に泊まる。
野人峰北西カンテ
7月30日 晴れ
野人峰(5592m)のベースを建設する。歩く時間は3時間程度だが、とにかくきつい。目指す野人峰北西カンテは、高度差1400m、相当に難しそうだ。中間部分150m程は、垂直に近い上に弱点が無く、ボルト連打になる可能性が大きい。さらに、左右の壁には頻繁に落石が飛び交う。登攀意欲よりも恐怖心が先に立つラインである。
7月31日 晴れ時々にわか雨
大内、室屋は下山。久しぶりに水浴びと洗濯をする。
8月1日 曇時々雨
昼前、長友が入山した。高度障害でかなり消耗している。16時前から取り付きまで偵察に出る。
8月2日 曇時々雨
試登に出かけるも小雨、ガスで取り付けず。
8月3日 曇時々雨
沈殿。長友は高度障害の為に、下山し宿に泊まる。
8月4日 ガス後晴れ
5時起きとするが、一面ガス。岩も濡れているために食事後再び寝る。7時頃より晴天となるが、まだ岩が乾かないためにどうしようも無い。妹尾が単独で荷揚げに向かう。3ピッチ登ってデポしたという。
8月5日 晴れ後雨
日帰りアタックに出る。下部のスラブ帯を2ピッチ、ユマーリング。3ピッチ目から凹角に入る。4、5、6ピッチとザイルを延ばしたが、雨が降り出したために下降する。
8月6日 晴れ
妹尾が単独で荷揚げに出る。昨日より1ピッチ伸ばし、デポしたとの事。
8月7日 晴れ後雹 9ピッチ登ると、下部岩壁終了点のテラスに出る。ドリルのバッテリーが無くなってきたこと、天候悪化の兆しが見えたことにより10ピッチ目の途中から引き返す。取り付き点に着く頃、大粒の雹が降ってき て、大荒れの天気となる。
8月8日 晴れ
岩が濡れているために沈殿。
8月9日 晴れ
取り付いたものの、メンバー間のトラブルの為に、2ピッチ終了点より引き返す。
8月10日 晴れ
岩壁肩までのルート工作を目指し、取り付く。9ピッチ目終了点のテラスにテントを張り、ABCとす る。10ピッチ目終了点にもテラスがあるが、こちらは落石が怖い。米澤トップで13ピッチ目を登攀中に落石に遭い、長友が頭部と左手に直撃を受けた。意識はあったが、頭部の傷は重傷であり、自力で動ける状態では無く、10ピッチ終了点のテラスまで降ろす。ここから妹尾は大溝にベースを置いているYCCパーティに救助を求めて下降、米澤は長友とともにビバーク。下のテントから、羽根服、半シュラフ、フライ、水などを上げ、長友に着せて長い一夜を明かす。呼びかけると、正常な返答はあるものの、いつ呼吸が止まるか気が気ではなかった。
8:30、登攀開始〜 17:55、事故発生〜19:00、10ピッチ目終点のテラスへ下降〜19:10、妹尾下降開始〜21:00、取り付き着〜21:30、ベース着〜22:30、車道〜23:10、宿宅〜23:40、大溝のベースへ連絡のポーター出発
8月11日 晴れ
ヘリコプターを待つが、現れず。(後で分かった事だが、この高度、5000mまで飛べるヘリコプターは無いということだった)時々落石が降ってくるので、長友の要請もあり、下のテントまで下降する。結構複雑な作業になったが、長友が少しは身体を動かせたので何とか成功する。前夜遅く遭難の連絡を受けたYCCパーティは、自分たちの登攀を放棄し、救助に当たってくれた。日暮も近くなった頃、妹尾とYCCの佐野がテントまで登って来た。救助経験の豊富な佐野に下降の指揮を依頼する。ツェルトを張ったりして4人がビバークする。
1:30、ポーター、大溝ベース着。YCCパーティは直ちに下山の準備に入る〜 6:30、大溝入り口で佐野、平松、李と妹尾合流〜9:30、ベースキャンプ着〜11:00、船山ベース着〜11:30、妹尾、佐野、船山ベース発〜12:20、登攀開始〜13:00、船山負傷、ベースへ下降〜19:30、妹尾、佐野、ABC着
8月12日 晴れ
朝から下降を開始する。佐野がルート工作を行うために先行し、妹尾が長友を背負ってアプザイレン、米澤が長友の確保に当たる。午後4時頃、取り付き着。ここからポーターに任せベースへ。船山医師(YCC)の診察を受けた後、麓の道まで降ろし、救急車に担ぎ込む。李さんが付き添い、佐野、船山、平松(YCC)とともに、成都へ向かう。
8:30、下降開始〜 16:00、取り付き点〜17:00、ベースキャンプ着〜18:30、麓車道着、救急車へ収容、成都へ向かう
8月13日 晴れ
連絡の為に米澤は現地ガイドのジャンさんと共に宿へ下山する。李さんを通じて長友の容体を聞いたところ、命には別状無いようで安心する。この時の連絡で、岩壁に残した装備は全て放棄する事を決定。宿に泊まる。
8月14日 雨
ポーターと共にベースへ戻る。
8月15日 晴れ
ベースをたたみ、下山。17日に福岡に帰り着いた。
5120m峰登攀には成功したものの、野人峰登攀は反省の多い物になってしまった。改めて、落石の怖さを知らされた思いがする。幸い、長友の経過は順調で、10月には職場復帰した。一方、野人峰は、アメリカパーティによって、別ルートから初登頂されてしまった。ビッグウオール登攀の難しさ、怖さを痛感させられる遠征だった。