3. 中国四川省四姑娘山群遠征(2011年7月21日〜8月14日)
米澤 弘夫 記
大内尚樹、室屋 博、米澤弘夫
山行の概要
昨年に続き、大内尚樹、守屋博(昨年と同じメンバー)と共に中国四川省四姑娘(スークーニャン)山群に出かけた。双橋溝の支流、小溝へベースを置き、5060m峰の登頂を試みたが、電動ドリルの不調によ り、完登には至らなかった。
行動記録
7月21日 晴れ
福岡を発ち、上海経由で成都空港着。ホテルで大内、室屋と合流。入国検査の時に、腕時計を紛失し、以後、時間記録が取れなくなってしまった。
7月22日 晴れ
雅安経由で、四姑娘山群麓の宿(双橋溝下流)に到着。予定していた山域は、チベット情勢が不安定なために、外国人立ち入り禁止となったらしい。しかたなく、昨年ベースを置いた大溝の隣の谷である、小溝へ目的を変更する。
7月23日 晴れ
小溝へはまだ入ったことがないので、ベース位置を確認するために、空身で偵察を行う。車で双橋溝を10キロほど登り、これから小溝に入る。5時間ほど登った所で、巨大な岩屋を見つけ、ここをベースと決定する。放牧の泊まり場となっており、地面が傾斜しているものの、10人は泊まれる立派な物だ。
7月24日 晴れ
現地エージェントのジャンさん、ポーターと共に、ベースを設ける。周りはぐるりと5000m級の岩峰が聳え、高度差600〜1000mに及ぶ花崗岩の岩壁が連なっている。主な課題を片付けるだけで3年は掛かるようだ。その中で、5400m峰から切れ落ちる最もスケールの大きいカンテ状岩壁を目標に選ぶ。
小溝5400m峰
7月25日 晴れ ・・ 疲労回復のために、沈殿とする。この年になると、連日行動は無理だ。
5060m峰北西カンテ
7月26日 晴れ
大内、守屋と共に、ポーターの王さんの案内で、カンテ状岩壁の取り付きまで行ったが、簡単には登れそうにもなく、5060m峰に突き上げるカンテに目標を変更する。新たなラインの取り付きまで、岩壁の間を縫う様にトラバースしなければならず、結局、アプローチに5時間以上かかってしまった。守屋トップで凹角を1ピッチ登って下降。
7月27日 晴れ
沈殿。この高度では、1日行動、1日休養というペースでなければ、身体が保たない。
7月28日 晴れ後曇り
ワンビバークの用意をして取り付く。奇数ピッチを米澤トップで、偶数ピッチを大内トップで登り、6ピッチ目が終了した大テラスでビバーク。ライン取りがすっきりしている上に、ピッチ毎の内容も面白く、良いルートに成りそうな感じがする。
7月29日 小雨後曇り
あいにくの小雨模様。大内が強引に7ピッチ目に取り付いたが、途中でカムが外れ、墜落。足首をくじいたために、下降する。
7月30〜8月3日 雨
沈殿。さすがに、5連沈にはまいった。室屋は雨の中を下山し、大内、ジャンさん、ポーターの王さんとの4人、日がな焚き火を囲んで過ごす。
8月4日 曇り
電動ドリルのバッテリー充電のために、米澤が王さんと共に一旦宿まで下降する。この日は宿泊まり。翌5日、雨に打たれながらベースまで戻る。
8月6日 晴れ
ベースから取り付き迄3時間を要し、体力的な負担が大きいので、取り付きの40分ほど下にABCを設ける。この日は、大内と共にABC泊まり。
8月7日 晴れ
大内と共に登攀を開始する。ハーケン類を回収してしまっていたために、所要時間は最初のアタックの時と変わらない。大テラスに荷物をデポして、7ピッチ目を終える。米澤トップで8ピッチ目へ向かうが、時間切れで下降。大テラスでビバーク。
8月8日 晴れ
米澤トップで7ピッチ目を登り、そのまま10m程上の小テラスまでザイルを伸ばす。8ピッチ目を終えるとまた大テラスへ出る。上部はツルツルのスラブとなり、前進を阻まれる。幸い、スラブ基部を左上するバンドを辿ることが出来、ラインが開けた。バンドをどんずまりまで辿った所に安定した確保地点があったものの、電動ドリルのバッテリーが切れ、ボルトを打つことが出来なくなってしまった。上部は容易な凹角が延びるので、大内が更にワンピッチルートを伸ばした。後、5ピッチほどで頂上に達する様であったが、ボルトが打てなければ、どうしようもない。後ろ髪を引かれる思いで下降する。取り付きから王さんのサポートを受け、ABC迄何とかたどり着いた。
8月9日 晴れ
ABCを撤収。ベースに引き上げる。
8月10日 晴れ
岩壁群の偵察の為に、小溝を遡る。高山植物が咲き乱れ、エーデルワイスの群落を踏みしだきながらの散策を楽しんだ。
8月11日 晴れ
宿まで下山する。成都、上海を経由して、14日福岡着。
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