5. 中国四川省四姑娘山群遠征(2012年7月18日〜8月26日)

                             米澤 弘夫 記 

大内尚樹、室屋 博、野口 明、畑 秀信、山崎洋介、米澤弘夫

 中国四川省四姑娘山群には、5000m級の岩峰が林立し、所によっては高度差1000mを越える巨大な花崗岩の岩壁が存在する。300m程度の岩壁であれば、数える暇がない。また、夏の間、積雪が見られない事もあって、そのほとんどをフラットソールで登ることが出来る。このような条件から、この山域は純粋な岩登りの場として理想的な存在であると言える。現在までに20本程のラインが引かれたが、岩壁群の大部分が未だ手つかずのまま残されており、パイオニアワークの場としても魅力が大きい。大内はこの山群に魅せられ、10年以上にわたってルート開拓を行ってきた。私自身、昨年、一昨年と大内を隊長とする遠征隊に加わった。しかし、昨年は双橋溝支流の小溝に入ったものの、ルートを1本も完成させる事が出来なかった。今年は40日間に及ぶ日程を組んで、三度中国へ出かけた。
 始めの計画では、ゼロン谷を偵察後、小溝へ移動し、昨年登り残した課題3本を片付ける予定であった。しかし、土砂崩れのために、ゼロン谷へは行けず、急遽小溝へBCを置いた。天候不順に泣かされたが、幸い、課題だった仙人峰(5062m)北西カンテ、Daogou 西峰(5422m)の隣のピーク(5360m、麗人峰と命名)南東カンテ、Chibu 2 峰(5400m)正面カンテにラインを引くことが出来た。日程に余裕があったことが大きく、十分な成果を上げることが出来た山行だったと言える。

 

 

○行動日誌

7月18日:雨:福岡を発ち、上海経由で成都着。大内、室屋、李慶(現地エージェント)、姜峰(現地エ       ージェント)と合流。
7月19日:雨:5名でゼロン谷偵察に出かける。この日は雅江泊まり。
7月20日:雨:黄塘への道が土砂崩れのために通行止めと成り、ゼロン谷へは行けず、双橋溝へ目標を変       更。22時、渡暇村の宿に着く。
7月21日:雨:停滞。
7月22日:曇り:小溝のBCへ入る。
7月23日:雨:沈。
7月24日:曇りのち雨:沈。
7月25日:晴れ:仙人峰ABC建設、1ピッチ登って下降。
7月26日:晴れ:前年のラインをたどり、8ピッチ終了点でビバーク。
7月27日:雨:停滞。
7月28日:晴れ:18ピッチ目を終え、登攀終了。ABCまで下降。
7月29日:晴れ:BC着。
7月30日:晴れ:沈殿。
7月31日:曇り時々雨:麗人峰ABC建設、ABC泊。
8月1日:雨:沈殿。
8月2日:雨:取り付きまで荷揚げ、BCへ下降。
8月3日:晴れのち曇り:ABCへ移動。
8月4日:晴れ:岩壁に取り付き、4ピッチ終了点でビバーク。
8月5日:晴れのち雨:カンテラインをたどったが、降雨のためにルンゼへ逃げ、11ピッチ終了点でビバー     ク。
8月6日:曇り時々雨:下降、BCへ下る。野口入山。
8月7日:曇りのち雨:沈殿。
8月8日:晴れのち雨:4人がABCへ入る。
8月9日:晴れ:岩が濡れているために沈殿。
8月10日:晴れ:登攀開始、7ピッチ終了点のテラスでビバーク。
8月11日:晴れ:13ピッチ終了点でビバーク。山崎入山。
8月12日:晴れ後雨:17ピッチ目で、ピーク直下(5360m)に達し、登攀終了。ABCへ下降する。こ     のルートを曙光のカンテと命名。畑、入山。
8月13日:晴れ:Chibu 2 峰ABCを建設、ABCで畑と合流。畑、山崎を残し、4名はBCへ下降。
8月14日:晴れ後雨:Chibu 2 峰ABCへ移動したが、室屋の体調悪く米澤と供にBCへ下降。畑、山崎は     5ピッチ登るも降雨のために下降。
8月15日:曇り:米澤がABCへ入る。野口は下山。
8月16日:晴れ:4名が取り付き、18ピッチ目終了点でビバーク。
8月17日:晴れ夜雨:25ピッチ登り、Chibu 2 峰ピーク着(5400m)。11ピッチ終了点まで下降。ビバーク。
8月18日:曇りのち晴れ:下降を続け、BCへ下る。畑、山崎下山。
8月19日:晴れ:ABC撤収。そのまま渡暇村の宿まで下山。
8月20日:雨のち曇り:沈殿。
8月21日:曇りのち雪:室屋と供に測量溝偵察にいくも、降雪の為に山は見えず。大内は王さんの娘さん     の結婚式に出席。
8月22日:曇り後雨:付近の山は雪を被っている。大内、室屋、姜とともに紅杉林往復。
8月23日:曇り一時雨:都江堰の室屋宅まで下山。
8月24日:都江堰見物。
8月25日:成都へ移動。李慶氏経営のレストランで打ち上げ。
8月26日:成都を発ち、上海経由で福岡着.

 

          

               仙人峰

 

          麗人峰(右の影になっているピークはDaogou 西峰)

 

  

                    Chibu 2 峰

 

○登攀記録

  1. 仙人峰北西カンテ登攀

 BCからではアプローチがきついため、7月25日、昨年同様、2時間程度登った地点にABCを置いた。この高度では、2時間の登りで酷く体力を消耗してしまうし、今年67歳となった大内と私には負担が大きすぎる。ABC建設後、1ピッチ目にフィックスを張って下降した。昨年途中まで登っており、下部半分はルートの状態が分かっているが、上部は不明ながら岩が脆くなりそうな感じもして、ラインが読めない。最悪の場合は不安定な人工登攀を強いられるかも知れない。
 翌26日、大内、室屋、米澤のオーダーで登攀を開始する。若い室屋は荷揚げを押しつけられ、20キロに近い荷物を担ぐはめになった。この重さでは、登攀を楽しむどころではなかったろう。それでも確実に高度を稼いでくる。問題なく6ピッチを終了し、昨年のビバーク地点に達した。ここからバンドを左へトラバースし、クラックを直上するという新しいラインをたどった。こちらの方がすっきりしており、また、技術的にも容易である。8ピッチ目の大テラスを整理し、ビバークに入る。苦心の甲斐あって、三人が横になることが出来、快適なビバークの出だしだった。しかし、真夜中頃から雨が降り出し、翌27日は岩壁中で停滞する羽目となってしまった。
 28日、幸い雨が上がった。ここからは私がトップに立って登攀を再開する。ビバーク用具等は残し、セカンド以下も空身同様、ぐんぐんペースが上がる。バンドのトラバース2ピッチ、凹状部の登攀1ピッチで昨年の最高到達点に達した。そのまま直上するには時間を取りそうだったので、ガラ場混じりの壁を右へトラバース気味に登り、2ピッチ目でカンテラインに飛び出した。容易なカンテを1ピッチ登ったところでガレ場の下に着いた。このガレ場は、下からではその存在を全く確認出来なかった所である。ガレ場を2ピッチ登ると、脆そうな岩壁に突き当たった。悪場だと危惧していた部分である。
 幸い、岩壁基部を右上に走るルンゼが見える。このルンゼに入ると、格別の困難も無く、2ピッチで頂上直下のコルへ達した。頂上は狭く、とても三人集まれそうに無かったために、一端、コルでピッチを切る(11時10分)。三人が集合した後、一人ずつピークを踏んだ。上部は人工登攀になると踏んでいたのだが、以外と弱点をたどることが出来、あっけなく登攀を終了した。
 ピークからは反対の長坪溝が一望の下に見渡せる。さすがに四姑娘峰は6000mを越えるだけあって氷河を掛け、雪に覆われた山容は急峻に切れ落ちた岩壁を従えて迫力がある。さらに、アメリカパーティがルートを開いた神山が端正な山容を見せる。まさに、岩壁の宝庫と言うべき景観である。
 下降は、登ったラインをアプザイレンの連続で下る。取り付きの少し下からはポーターの王さんの助けを借り、17時20分、ABCへたどり着いた。疲労の為にBCへ帰る元気が無く、この日はABC泊まりとする。このピークを九大山岳部の先輩にちなみ、仙人峰と名付ける。また、ルート名を3人の年齢を合計した168(イロハ)ルートと決めた。この数は、中国では縁起の良い数だと言うことである。

 

      

    仙人峰北西カンテ168(イロハ)ルート・ルート図

 

  1. 麗人峰曙光のカンテ

 仙人峰登攀後、すっきりしない天候が続いたが、7月31日、5360m峰を目指し、ABCを建設した。しかし、悪天のために、一端BCまで下降し、改めて8月3日、ABCへ移動した。下部のラインをどう取るか、散々迷ったあげく、下部岩壁を直登することに決定、大内をトップに押し立て、翌4日に登攀を開始した。
 基部の雪渓を登り、左上するバンドへ取り付く。相変わらず、室屋は重い荷物を押しつけられ、苦しそうだ。ワンピッチ目は容易だったが、2ピッチ目は不安定な人工登攀となった。時間が掛かったものの、豊富な経験を持つトップは着実に登り切った。このピッチは部分的に被っており、荷物を担いだままでは、登れそうに無い。ザックを引き上げたが、途中でハングに引っかかったために、これが大変な作業になってしまい、時間と体力を大きく消耗した。少々の無理はあっても、セカンド以下は荷物を背負って登るべきであった。4ピッチ目終了点でビバーク。苦労してテラスを広げた甲斐あって、快適なビバークだった。
 翌5日は私がトップに立った。しかし、4ピッチラインを伸ばしたところで、急に降雪に見舞われ、カンテラインをたどることは不可能となったために、右のルンゼへ逃げた。ルンゼを3ピッチ登った所で行き詰まり、不安定な小テラスでビバーク。翌6日も天候は回復せず、アプザイレンで下降する。一端BCまで下降、後発組の野口と合流した。一日の沈殿を挟み、8月8日、改めて4名がABCに入った。
 10日、再度アタック。予定通り、7ピッチ登った所のテラスでビバークとする。あくまでカンテに沿ってルートを開くことを確認、翌日は核心部の登攀が始まった。私がトップに立ち、不安定な人工登攀を交えながらじりじりと高度を稼ぐ。しかし、11ピッチ目で、カムが外れ、5m程墜落、ファイトが失せたためにトップを大内と交代する。大内は着実に悪場をこなして行く。12ピッチを終えた頃には日没を迎えた。ビバーク点を求め、暗闇の中でワンピッチザイルを伸ばし、ピナクル裏の狭いテラスで座ったまま眠れぬ一夜を過ごした。
 翌12日も好天、野口にトップを譲る。上部は傾斜が緩み、順調にザイルが伸びた。16ピッチ目は、カムを利用したフレイクの人工登攀となったが、野口は確実なクライミングで越えた。17ピッチ目を終え、ピーク直下のバンドに達した所で登攀を終了する。下降は順調に進み、無事に取り付きに降り立った。その直後から激しい降雨が始まり、登攀中、好天に恵まれた幸運を感じた。山崎、王のサポートを受けてABCへ下山する。
 Daogou 西峰(5422m峰)は2つのピークよりなり、我々が登った5360mのピークを麗人峰と名付けた。ルートは麗人峰へまっすぐ突き上げるカンテ上に引かれ、爽快なライン取りが成されている。また、ルート内容も優れており、好ルートと言える。朝日がこのカンテを照らし出し、影になった岩壁を背後に直線的なラインがくっきりと浮かび上がるところから曙光のカンテと名付けた。大内と私にとって、会心のルートである。
 

    

    麗人峰曙光のカンテルート図(観音峰と記してあるピークはDaogou 西峰)

 

  1. Chibu 2 峰正面カンテ

 このラインは、昨年、大内、佐野、畑が試登し、18ピッチまでザイルを伸ばしている。小溝の岩壁群の中では、最もスケールが大きく、末端からの高度差は1000mに近い。目指すラインも30ピッチ近くになると思われる。更に、最高到達点から上部は傾斜が増し、困難な登攀が予想される。下から見た感じでは、簡単に片が付きそうにも無い。始めに目指した2本のラインを完成させた気の緩みと積もる疲労の為か、それとも壁のスケールに飲まれたためか、漠然とした不安が沸き起こって今ひとつファイトが出てこない。
 13日、後発組の山崎、畑と合流し、ABCを建設する。大内、室屋、野口、米澤は疲労回復のために一端BCへ下った。14日、山崎、畑はアタックを試みたが、5ピッチ登った所で激しい降雨にあい、ずぶ濡れになって下降してくる。この日、大内、室屋、米澤がABCに入った。しかし、室屋が身体の不調を訴え、夕刻、米澤とBCへ引き返した。米澤は登攀を一端は諦めたものの、アタックが16日に伸びたために、15日、単独で再度ABCへ移動した。この日、野口は下山する。
 16日にアタック再開。今回は、リードを畑、山崎に任せ、私は荷揚げに専念する。二人とも安定した登りを見せ、順調に高度を稼ぐ。私はただ後をついて行くだけ、気楽だったものの、荷物が重く、きついのには閉口した。下半部は容易なピッチが多く、一部ラインを間違えた所があったが、行程がはかどり、昨年の最高到達点18ピッチ目終了点でビバークとなった。テラスを広げようとする努力の甲斐も無く、横になることが出来ず、寒さも加わってほとんど眠ることが出来なかった。
 17日、夜明けと供に登攀開始、一面のガスで何も見えない。21ピッチに掛かる頃、雨が降り出し、登るかそれとも下降するか、難しい判断を迫られる。大内は強気で登攀の続行を決定、まもなく雨がやんだ。上部は岩が脆くなり、技術的困難さが増したことも重なって結構時間が掛かる。特に23ピッチ目の凹角はやや脆く垂直に近い悪場であったが、畑が熟練した登りを見せ、鮮やかに登り切った。ここまで来ると、急激に傾斜が緩み、頂上が近いことがうかがわれた。長かった25ピッチを登り切り、午後2時半、山頂に立った。
 11ピッチ目終了点の大テラスまで一気に下降する。日暮れが迫って、時間との競争になったが、何とか明るいうちにテラスに着いた。ここでは身体を伸ばして眠る事が出来た。しかし、夜半に雨が降り出し、快適とは言いかねる結果となった。朝には雨が上がったので、順調に下降を続け、取り付きで室屋の出迎えを受けた。
 このルートは弱点を狙ったために、ガラ場を含むトラバースが多く、ライン取りが複雑である。一部のピッチを除き技術的困難さは少なく、ラインを間違えなければぐいぐいと登ることが出来る。しかし、登攀距離が1000mに達するので、スピーディな行動が要求される。トラバース部分を直登するように変更すれば、一段と快適さが増すであろう。

 

     

            Chibu 2 峰 正面カンテルート図

 

 四姑娘山群は、クライマーの天国である。数百メートルに及ぶ花崗岩の大岩壁が、未登のまま無数に残されている。新たな課題も見つかったし、何とか、70歳まではこの山域に通いたいと思う。

 

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