6. 中国四川省四姑娘山群遠征(2013年7月28日〜8月24日)
米澤 弘夫 記
メンバー ・ 大内尚樹(RCC Ⅱ)、佐野耕司(YCC)、山崎洋介(京大山岳会)、米澤弘夫
今年も中国遠征の時がやって来た。大内からの計画書では、双橋溝白海子(バイハイツ)の奥にそびえ立つ岩峰を第一目標に上げてあった。私もこの岩峰の写真を見てすっかり惚れ込んでいたから、問題なく今年の課題は白海子と決定した。常連の室屋はビザ手続きの関係で入山できず、大内と私、68歳同士の熟年パーティが出来上がった。日程の前半で白海子の登攀を行い、後半、8月10日過ぎには、山崎(昨年度のChibu 2 峰登攀のパートナー)、佐野(2010年長友遭難時の救助隊メンバー)と合流しピンプン溝5513m峰の登攀を行うという事が計画された。また私たちと同時期に慶応大学山岳会のメンバーが大溝に入り、5120m峰東壁の登攀を試みる事になっていた。
白海子(バイハイツ)越に望む白海子 3 山
登攀記録
7月28日、福岡を発ち、成都で大内、李慶(現地エージェント)、姜峰(同)と合流、翌29日、双橋溝渡暇村の常連宿へ入った。30日には白海子(山奥の湖)のほとりにベースを建設する。高度は4600m、今までのベースに比べ、400〜500m高い。バテバテになって白海子着。この高度では身体を動かすだけで息が切れる。白海子は聞いていた以上の美しい湖であった。澄み切った青い水はそのまま飲料にも使え、周りには平らな草原が広がる。3方を岩山で囲まれた景観はクライマーの天国と言うべきであろう。湖を隔てた彼方に三つの顕著なピークが傲然とそびえ立つ。左が老鷹岩、右がワーグルセイ、どちらもすでに登られている。しかし、中央の鋭く尖ったピークは未登である。高度的には最も低く見えるが、空に突き刺さった端正な姿はそれを補ってなお余る物がある。
一端、休養を取り、8月2日、試登に向かう。モレーンのアプローチに思ったよりも時間を要し、更には岩壁基部の雪渓に3ピッチに渡ってカッティングを行わなければならなかったために、登攀を開始するまでに5時間が掛かっていた。脆いルンゼを1ピッチ登ると、赤茶けたフェイスの下へ出て、ここから実質的な登攀が始まる。ルートとなるフィンガークラックはかなり難しそうだ。日本ならばフリークライムの対象となるのだろうが、ここは高度5000m、フリーなどと言っていられる場合ではない。ためらわずにあぶみを取り出す。
どちらがトップをやるか迷ったが、カムを使った微妙な人工登攀は大内の方に一日の長があること、体力的に私の方が荷揚げすることの出来る量が大きいことを考え、大内が下部のトップを務め、私は荷揚げに専念する。フィンガーサイズのクラックを人工混じりで登り、ハングに突き当たった所で左へトラバース、左側の斜面に出る。このピッチが前半の核心部。大内の登りにいつもの切れが無く、きつそうだ。直前までのピレネー山行が疲労となって残っているのかもしれない。この上のテラスに荷物をデポし下降する。
1日休養を挟み、8月4日、2ビバークの用意をしてアタックをかけた。トップを務める大内は不調ながらもじりじりとルートを延ばしてゆく。カムで細かく支点を取りながらの精妙なクライミングには、いつもながら感嘆させられる。私は重荷に喘ぎ、登攀を楽しむどころでは無い。息を切らしつつ後に続いた。若い守屋が居てくれたらとつくずく思う。4ピッチ目に掛かる頃には日没が迫り私は下降を考えたが、大内は強引に上を目指していく。幸いテラスが見つかり、ビバークに入った。二人が横になれるスペースは無く、上下に分かれて座ったまま一夜を明かした。ほとんど眠る事は出来ず、この一晩で大きく体力を消耗してしまった。
さらに2ピッチ登ると、外傾した大テラスに出た。大内が1ピッチ直上したが、上部はオーバーハングに遮られ、簡単には抜けられそうに無い。一端下降し、左へバンド伝いにザイル一杯のトラバース、安定したテラスに達した。ここに荷物を残し、上部の偵察に出る。私がトップを引き受け、直上1ピッチ、バンド伝いの右上3ピッチで岩峰右のカンテラインに達した。どうやらピークまでラインは続いているようだ。これで完登の目処が立った。時間切れでここから下降、荷物を残したテラスへ帰り、ビバークに入った。身体は横になったものの、寒さで眠れず、体力の回復にはほど遠かった。翌日は日が当たるのを待って、下降する。身体がふらつくほどの疲労を覚えたが頑張りきり何とかベースへ転がり込んだ。
翌7日は朝から雪、山はたちまち冬山状態となった。8日は休養、9日にポーターが入山しベースを撤収する。大内と私はロンゲサリのコルを越えて慶応大学山岳会パーティが陣取る大溝のベースへ向かった。コルの前後でザイルを取り出したりした為に時間を喰ったが、17時頃には慶応のベースへ着いた。今日はこのテント地泊まり。ここで、高度順応のために登ってきた山崎と合流した。翌10日、渡暇村の宿へ下山する。11日夕刻、後発の佐野と合流し、メンバーが揃った。
12日には第二目標であるピンプン溝5513m峰に向かって車を走らせる。しかし、ピンプン溝入り口のゲートで車を止められた。ずいぶんと折衝したが入山不能と分かり、再び白海子へ向かうことに決定、渡暇村の宿まで引き返した。
13日、白海子へベースを建設する。15日、4人で荷物のデポに向かい、佐野トップで登攀を再開する。佐野は安定したクライミングを見せ、着実に高度を稼いでいく。6ピッチ終了点(前回のアタック時の2回目のビバーク点)に荷物をデポし、一端下降した。16日は休養、17日に2回ビバークの用意をしてアタックをかける。1〜6ピッチは大内リード、7〜11ピッチは米澤リード、12ピッチは大内リードで登り、12ピッチ終了点のテラスでビバーク。2パーティに別れ何とか横になったものの、寒さのためにほとんど眠る事は出来なかった。
明るくなると同時に行動を開始、山崎トップで13、14ピッチを登る。今までの荷揚げから解放された山崎は快調にまた楽しそうにクラックを登っていった。15ピッチは私がトップを引き受ける。ラインが読みづらく、技術的にも悪かったが、右上するクラックが続いており何とか登り切った。このピッチが後半の核心部と言える。さらに20mほど左へガラ場を辿ると被った凹角の下へ出た。最後のワンピッチは佐野がリードする。このパーティは誰もがトップに立つことの出来る力を持っている。特に、若い(と言っても40代後半)佐野と山崎は強かった。それに比べ、老人組は体力不足が否めない。凹角の入り口でカムが外れ、小墜落をするというハプニングが生じたが、その後は着実にハングを越え、クラック伝いに小ピークへ立った。すぐ右にはオベリスク状の岩塔そびえ、こちらの方が15m程度高いが、ボルトの連打以外に登る術は無く、我々は小ピークまでで登攀を終了した。時に12時10分。大内はこれが10本目、私にとっても5本目のルートである。
我々が登ったピークは地元名が無く、また我々が初登頂者なのは確実なので「中央尖塔」と命名し、またルートを白海子の女神にちなみ「女神の微笑み」とした。白海子から眺めると、「中央尖塔」は老鷹岩とワーグルセイとに挟まれて一番低く感じるが、頂上に立つと、老鷹岩、ワーグルセイが100m程下に見下ろせる。中央尖塔が低く見えるのは奥まっているためであって、実は3ピーク中最も高いのを確認した。GPSの値では高度5380mとなっていた。1時間ほど時を過ごし、下降に入る。しかし、懸垂のザイルがからみ、回収に登り直したこともあってベースへ帰り着いたのは真っ暗になってからであった。
「中央尖塔」は素晴らしく迫力のある美しいピークである。ドリュを思わせる鋭く尖った山容は何時まで見ても見飽きることが無い。ルート内容も緩みがなく、それぞれのピッチが充実している。昨年の「曙光のカンテ」と並ぶ好ルートと言えよう。ピンプン溝への入山が不可能になったのが「中央尖塔」の初登頂という成果をもたらす事になった訳だ。今回の入山は天候に恵まれたにもかかわらず、1本だけの成果に終わったが、登攀内容の素晴らしさが全てを払拭してくれた。
この後は、老鷹岩の試登、野人峰、ポタラ峰の偵察で時間をつぶし、24日、深夜、福岡に帰り着いた。大溝に腰を据えた慶応パーティは4本の新ラインを開いたという。初めての場所でこれだけの成果を上げるとは、さすがに伝統を誇る会だけの事はある。見事なものだ。
白海子中央尖塔・女神の微笑みルート
ルート解説
○白海子(バイハイツ)中央尖塔・女神の微笑みルート
高度差480m(岩壁最下部からの高度差510m)、登攀距離565m、17ピッチ、A1、Ⅵ+)
中央尖塔は、老鷹岩とワーグルセイの中間に位置し、その均整の取れた鋭くそびえ立つ山容は白海子山群中の白眉と言えよう。白海子より仰ぐ中央尖塔は左右の両ピークよりも低く見えるが、登頂の結果、両ピークより100m近くも高い事が判明した。取り付くには白海子に設けたベース(4600m)よりガラ場を高度差200m程登り、雪渓を3ピッチ(150m)カッティングで辿る(ピッケル、アイゼンが必要)。中央尖塔とワーグルセイ間のルンゼへ入り、雪渓から15m程度ルンゼを登った辺りでザイルを結び合う(ここまでBCから3時間程度)。高度は4900m。ルート名は白海子に住む美しい女神(登攀メンバーは全員その存在を信じている)にちなんだものである。
1ピッチ:40m、Ⅳ−
ガラガラのルンゼをたどり、途中から左へ出ると赤茶けたフェイス下の外傾したバンド状テラスへ出る。
2ピッチ:20m、A1、Ⅵ+
フェイス右側のフィンガークラックに沿ってA1を交えながら登り、ハングに突き当たった所から左へト ラバースしてカンテを越え、左のフェイスへ出る。フェイスを一段上がるとバンド状テラスへ着く。
3ピッチ:20m、A0、Ⅴ+
左寄りに2m程出、フェイスを直上。左へ移ると小テラスに出る。更に一段上ってテラスでピッチを切る 。
4ピッチ:20m、A0、Ⅵ−
さらにフェイスを右寄りに直上。凹角に入った所に安定したテラスがある。ここが試登時の第一回目のビ バーク地点。
5ピッチ:20m、Ⅴ+
凹角伝いに登り10mで左へ出る。フェイスを10m登り小テラスへいたる。
6ピッチ(試登時):20m、A1、Ⅳ
人工登攀混じりでフェイスを直上、左へ出ると傾斜が落ちる。凹状部を辿り、大きな外傾テラスへ着く。
7ピッチ(試登時):35m、A1、Ⅴ
テラスよりフェイスを直上。2枚のせんべいを貼り付けたような岩の間のテラスへ出る。このラインは上 部が被ってくるために放棄する。
7’ピッチ(試登時):45m、Ⅱ
外傾テラスより一端下り、左へトラバース。ザイル一杯で安定したテラスへ出る。ここが試登時の第2回 目のビバーク地点。
6ピッチ(完登時):45m、Ⅳ+
フェイスを左寄りに直上。15mほど登った辺りから左へトラバース気味にラインを取る(Ⅱ〜Ⅲ)。試 登時の第2回目のビバーク点に着き、ピッチを切る。
7ピッチ(完登時):45m、A1、Ⅴ−
クラック伝いにフェイスを直上。上部は帯状のハングを越える。凹角を左上すると、不安定なビレイ点に いたる。
8ピッチ:45m、Ⅳ
凹角を5m左上へ辿り、ついでバンド伝いに右上する。ザイル一杯でどん詰まりのガラ場へ出る。
9ピッチ:25m、Ⅳ
凹角を登るが少々脆い。上の斜面に出てピッチを区切る。
10ピッチ:50m、Ⅴ−
凹角を伝い、ついで斜上バンドを右上する。ザイル一杯まで登ると外傾したテラスへ着く。
11ピッチ:35m、Ⅴ−
コーナーのハンドクラック伝いに20m登り、右のフェイスへ移る。ついでフェイスを15m登りテラスへ 出る。
12ピッチ:50m、Ⅴ−
フェイス中のコーナークラックとクラックを伝いながらザイル一杯まで登る。安定したテラスに出る。こ こが完登時のビバーク地点。
13ピッチ:50m、Ⅵ−
左のフェイスへ出て、フェイス中のクラック伝いながらザイル一杯まで登る。
14ピッチ:50m、Ⅵ
フェイスを左寄りに伝う。途中にチムニーが出てくるが、チムニー内でも外側でもどちらでも登攀可能。 いったんコルへ出る。更に被り気味のフェイスをクラック伝いに越える。
15ピッチ:50m、A1、Ⅵ+
クラックを15m程直上、ハングに押さえられるのでレッジ伝いに右へ出る。凹角へ入り、A1、2ポイン トでこれを抜ける。3m程直上し、ハンギングビレイ。
16ピッチ:20m、Ⅳ−
バンド伝いにガラ場の外傾テラスへ出る。これを登り、ハング下へ出る。
17ピッチ:30m、Ⅵ−
被り気味の凹角を越え、コーナーを辿る。その後、クラック伝いに右側のフェイスを越えると、小ピーク にいたる。高度5380m。
すぐ隣にそびえるオベリスク状のピークの方が15m程高いが、ボルトの連打以外には登る術がなさそうなので我々は、小ピークまでで登攀を打ち切った。下降はほぼ登ったラインをアプザイレン。
○行動日誌
7月28日:晴れ:福岡を発ち、上海経由で成都着。大内と合流。
7月29日:晴れ:成都発。ジャージン山越で双橋溝、渡暇村の宿に着く
7月30日:晴れ後小雨:白海子BC着。
7月31日:晴れ後小雨:取り付きまで装備のデポ。
8月1日:晴れ後あられ:沈殿。
8月2日:晴れ後みぞれ:2ピッチ試登。
8月3日:晴れ:沈殿。
8月4日:晴れ:岩壁に取り付き、4ピッチ終了点でビバーク。
8月5日:晴れ一時みぞれ:10ピッチ登り、6ピッチ終了点の大バンドまで下降してビバーク。
8月6日:晴れ:下降、BCへ下る。
8月7日:雪:沈殿。
8月8日:晴れ:沈殿。
8月9日:晴れ:大溝へ移動。山崎と合流
8月10日:晴れ一時雨:渡暇村の宿へ下山。
8月11日:晴れ:沈殿。佐野入山。
8月12日:晴れ:ピンプン溝へ移動するも入山できず。渡暇村の宿に引き返す。
8月13日:晴れ:白海子にBC建設。
8月14日:晴れ:沈殿。
8月15日:晴れ:大バンドへ荷物をあげる。
8月16日:晴れ:沈殿。
8月17日:晴れ時々曇り:登攀。12ピッチ登ってビバーク。
8月18日:晴れ:ピーク着。BCまで下降。
8月19日:晴れ:沈殿。
8月20日:晴れ:フィックス回収。老鷹岩試登。
8月21日:晴れ:渡暇村の宿まで下山。
8月22日:晴れ:紅杉林往復。野人峰、ポタラ峰偵察
8月23日:晴れ:成都着。李慶氏経営のレストランで打ち上げ。
8月24日:成都発、上海経由で福岡着。
白海子と我らがテント
5180m 峰
白海子とロンゲサリ
老鷹岩