屋久島の岩場概説
屋久島はいくつかの巨大な岩壁を有している。特に障子岳を中心とする永田岳北尾根、七五岳(しちごだけ)北壁、本富岳(もっちょむだけ)南壁を屋久島の3大岩壁と称する。これらの岩場はいずれも300mを越す高度差を持っており、九州では外に見られぬスケールを誇る。それらは全て花崗岩によって構成されている事が第一の特徴として上げられる。さらに、高温、多湿による樹木の侵入が激しい事が第二の特徴である。すなわち、屋久島の岩壁はリス一つ無い広大なスラブとなって切れ落ちるか、または、垂直の林と呼びたい程のブッシュに覆われる事が多い。したがって、1970年代までに開かれたルートはブッシュ伝いに登るか、または、垂直に近い一枚岩をボルト連打の人工登攀でたどるケースがほとんどであった。
屋久島における本格的岩登りの始まりは、1962年における本富岳中央稜の初登攀であろう。1970年を挟む数年間、屋久島ブームとも言うべき活性が見られ、ボルト連打を中心としたルートが10本程矢継早に開かれたが、その後一時期、ほとんどクライマーの姿を見ることはなく、それらのルートの多くがボルト等の腐食の為に再登不能になっている。しかし、1980年代になって傾斜の弱いスラブがフリークライムで登られる様になってきた。特に、1990年代にはいると、鹿児島黒稜会による精力的なルート開拓が始まり、3大岩壁を中心にして、鯛之川千尋滝右岸スラブ、二又川右俣右岸スラブ、銅淵川奥壁等に多くのフリーのルートが開かれた。そうして、最近は「屋久島フリーウェイ」の開拓を期に、中央からクライマーが訪れる事も多くなった。
その他に記録が残されている部分として、鈴川上流の鳥形スラブ、蛇之口滝、大川の滝、湯川の滝などが上げられる。蛇之口滝、大川の滝、湯川の滝は岩登りと言うよりは、沢登りの範疇に入る様な気がする。太忠岳の山頂をなす天柱岩もボルト連打で登られたと聞いた。これ以外については登られたという記録を見ない。海岸から見える部分としては耳岳のスラブも登攀意欲をかき立てる。破沙岳も大きな岩壁を有しているが、ブッシュが入り組んでいるために、一つの岩壁としてのまとまりに欠ける。その他にも、全島に渡って100m程度の岩壁が多く見られる。しかし、いずれもアプローチが長く、労力に見合う程の成果が得られるとは思えない。
私が登った範囲に限るが現在においても再登可能であり、かつ登攀価値を持つと思われるルートを上げておこう。障子岳南西稜南西壁白いスラブ「西野ルート」、障子岳南西稜西壁「工藤 - ゴア・ルート」、七五岳東稜、七五岳北壁「一夏の思い出」、本富岳南壁「屋久島フリーウエイ」、銅淵川「ミルキーウエイ」、二又川右俣右岸スラブ「大回転」、鯛之川千尋滝右岸スラブ「梅津ルート」の8本である。
本富岳の「水の山」と「デイドリーム」、障子岳の「遠い山」の3本は、我々の様な並のクライマーに登れるとも思えず、別格と考えるべきであろう。
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